夢と消えるのか、曽於市フラワーパーク |
本題に入る前に、地元では結構話題となっていた曽於市市長選でしたが、昨日遅くのこと、なんと、鹿児島県に革新自治体を生んでしまいました。つまり、革新派から見れば、フラワーパーク様々だったでしょう。そういう選挙でした。
曽於市地域は、過去に革新自治体となったことはありません。保守王国鹿児島全域ではどうなのでしょう。調べてみたのですが、今のところ見当たりません。市政自体への評価は今後のことですが、名実共に革新的な選挙結果となったことは間違いないでしょう。全国的に見ても、特殊な地域を除き、ほとんど都市部に限られていた革新自治体が、こんな田舎に! 選挙後半戦、革新派強しの噂は確かにあったのですが、あっただけに、鹿児島特有のバランス感覚?でいつも通りに揺り戻すのかなあ。と、思っていたのですが、保守勢力への失望はそれ以上だったのかもしれません。
確かに、革新派は、ツィッター、フェイスブック、youtube等、新しいメディアまで駆使していましたが、そういうものがこの地で影響を与えたとは考え難い。要は、フラワーパークを考えも無しに打ち出してきた、傲慢さ、あるいは、無能さ(一緒ですが、)、この辺りが、こんな人たちに自分たちの行く末を託して良いのかという不安感を募らせたのかもしれません。説明不足だったとしたら、やはり、周りのブレーンの無能さが、それに対する失望が最大の要因だったのではと、思ったりしています。つまり、自滅だったのではないでしょうか。こうなってしまった以上、くよくよししたり、誰が駄目だったとか、不毛な追求より、反対の為の反対以上の弁論のできる優秀な反革新派議員を育てる。これが急務であり、同時にそれができるかできないかこそが、市の死活に直接係わってくるような気がしています。それが実現できたら、正に、フラワーパークは夢への扉だったことになります。期待したいです。それに、市民の半数近くは、フラワーパークに期待していたというのも紛れない事実です。良かれと描いた夢なら決して諦めず、是非、形にして欲しいとも思います。人としての評価は、おそらく、そこで決まるような気がします。期待したいのです。
『橘花抄』ですが、良いです。個人的には、今のところ、葉室麟のベストは、『銀漢の賦』かなあ。と、思っているのですが、茶道、香道、中国古事、古今和歌集の詩歌を絡め、黒田騒動以降の九州黒田藩の内政を描く、これもかなり良いです。ただ、幅広い素養のある人に、政治を、自分たちを委ねたい。それは、小説という夢でしか叶わない夢なのかなあ。と、・・・