2014年 11月 24日
里山発電 |
個人的な気持ちとしては、7割くらい、明治維新なんか起こらずに、江戸期のまま、そのまま、進化していったらもっと面白かっただろうなあ。と、思っているのですが、ある種、明治維新の立役者の地域のひとつである鹿児島県が、どうしてこうも保守的になってしまったのか、常々不思議に思っていたのですが、もしかすると、保守的なのは、間違いなく保守的で、だけど、県民が情弱で、たとえば、水戸黄門が登場しても、葵の印籠を見せられても、「はあ? 誰?」 という感じだったのが、逆に、プレッシャーを感じることもなく、良かった?のかもしれません。(あくまで仮説なので、怒らないように。)
ある太陽光発電の業者さんが云っていたのですが、農振地区以外の田んぼを調べて、ここを売ってくれないかと、頼んで売って貰ったら、周辺の農家の人から、うちのも買ってくれ。うちもの、と、凄かったということでした。その辺りのクチコミの速さは評価すべきと思うのですが、「うん? なんでこんな田んぼを今時、こんな高値で買うんだ?」 と、もうひとつ突っ込んだ疑問は生まれなかったのかなあ。
ほんの少しだけ疑問に思って、ネットで検索してみれば、ソーラーシェアリングとか、里山資本主義とか、の単語に遭遇して、もっと南九州から、農業を、あるいは、日本を、改革するみたいな感じに成っていたかもしれません。(全く成っていませんが、) でも、結果は、ほとんど外資(ここでいう外資とは県外)に持って行かれている。そんなところが、もうダメなんだろうなあ。と、思う次第なのです。
この本の中に、「地方にはびこる3つの宿痾」と題して、1.「変化を徹底的に嫌う。」 2.「過剰なリスク回避感覚。」 3.「強固なコネクションが間違った方向に使われている。」 が、あげられているのですが、おそらく、1と2は、200年前から変わらない。 3には、何かヒントがあるような気がするのです。
農協ももっと賢いと思っていたら、(直接、太陽光融資を打診してみました。) 担保+保証人2名という体たらく、君たちが、先頭に立って、農業委員会とか、農政省を揺さぶり、地元資本のソーラーシェアリングを、我が身を守る為に推進するべきだろう? この時点で、もう農協にも先は無いように感じました。
この本の趣旨は、我が身は自分で守れ。そんな意味で、アヴァンギャルド、かつ、反体制的。
by naraonara
| 2014-11-24 19:36
| 本
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